当院の最寄り駅である、信楽高原鐵道・紫香楽宮跡(しがらきぐうし)駅の名称はその名のとおり紫香楽宮(しがらきぐう)の史跡が近くにあることに由来します。
紫香楽宮とは天平14年(742)に聖武(しょうむ)天皇がこの地に造営した離宮とのことです。聖武天皇は紫香楽宮の前に恭仁京(くにきょう)を作られていますが、歴史上はその後に位置する都となります。当院の裏に面する丘の上に、紫香楽宮跡がありますが、研究の結果、この宮跡は本当の宮跡ではなく国分寺の後だという説もあり、この北東にある宮町遺跡が本当の紫香楽宮であるという説が有力のようです。都は平城京から平安京に移るまでの期間に、難波宮(なにわのみや)、恭仁京、紫香楽宮がほぼ同じ時期に作られ、再び平城京に戻り、長岡京を経て平安京にと変遷しているようです。
お時間があれば、当院の周りの歴史的な遺産を巡って、天平の時代に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。